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上杉謙信

兜の前面に丸く太陽を模したもの、その後ろに三日月形の鍬形。
これが特徴的な「日月前立」と言われる上杉謙信の五月人形です。

着用鎧 上杉謙信

グレー段の上杉謙信

着用上杉謙信シルバー

着用 上杉謙信の兜

着用収納 上杉シルバー

着用収納 上杉謙信の兜

コンパクト.立体12号上杉謙信白金

立体上杉

立体 上杉謙信白金

三日月の上杉謙信

上杉謙信は現在の新潟県の生まれです。
14歳で元服するまで、寺に入れて育てられたと伝えられており、厚い信仰心と深い知識を持つ青年に育ちました。
学問好きで、寺ではみっちりと兵学などの知識を学び、仏の教えにも詳しく、自分を律することにたけていたといわれます。

上杉謙信の兜に特徴的な日月前立は、この信仰の厚さから生まれました。
三日月をあがめるのは、毘沙門天信仰の表れです。
毘沙門天は北方の守り神とされ、戦乱の守り神でもありました。
当時の武将で月をモチーフにした兜をかぶっている武将は、ほとんどが毘沙門天信仰を持っている武将です。

上杉謙信はその生涯にわたって、大きな戦いで負けたことは一度もない、敗戦知らずの武将でした。
領民をいたわるために無駄な出兵はせず、雪が深くなる冬の出兵もせず、領土が豊かになることを主眼に置いて領地を治めた名君でした。

幼名が「虎千代」、元服後の名も「景虎」だったことからついた呼び名は「越後の虎」。
川中島の戦いが有名ですが、甲斐の虎と恐れられた武田信玄と4度戦って決着がつかなかった話は有名です
(5度目はにらみ合いだったため、歴史家によってはこれを川中島の戦いとカウントしない人もいます)。

常に武田勢よりも少ない人数だったにも関わらず、一度も負けずに決着がつかないまま、武田信玄が先に世を去りました。

武田信玄との戦いもだまし討ちのようなものは一切なく、今川氏真によって武田信玄の領地に供給される塩が絶たれると、自ら塩を送ったという逸話も残っています。

のちに関東管領に任命され、当時勢いを伸ばしていた織田信長をして、「京都に至る最後の障壁は上杉」と言わしめた一大勢力でした。
実際の織田信長との戦いでも、常に織田勢を撃破しています。

現代に残る上杉謙信の書状はとにかく達筆で、文武両道に秀で、当時の文化にも明るかったさまを忍ばせています。
京都に上洛したときには、武将には珍しく和歌も宮中をうならせるほど、源氏物語等の古典にも明るく宮中人を感心させたという逸話も残っています。

上杉謙信の五月人形をお求めになる方は、上杉謙信の情の厚さや文武両道の知識の広さ、極端に負けの少ない戦歴などから、
お子さんにも勝ち戦の多い人生を送ってほしい、仲間に慕われる情の厚い人間になってほしいという願いを込めてお求めになる方が多いようです。

その信仰心の厚さから、常に戦場では毘沙門天の「毘」の字を染め抜いた旗をかかげ、後世「軍神」とあがめられました。
生涯70戦と言われた戦において、負けたのはわずかに1つか2つ、という史実もあるようです。
その戦も領民の生活を脅かす外敵に向かって領地を守るために行ったものばかり。
自分の懐を温めるために無駄に戦を起こしたり、他国に侵略をしたりしなかったと伝えられています。

上杉謙信の五月人形は、そんな上杉謙信の無欲さを表すかのような抑えた色調が多く、どちらかというと渋い色遣いになっているのが特徴的です。
ですが、渋さはお子さんに伝わりにくいとの見地から、金や銀、青などを使って華やかにしたものも多くあります。

お子さんに愛され、そばに置いておいていただく五月人形として、末永く親しんでいただければと思います。


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