戻るトップ全商品を見る>伊達政宗
a:668 t:1 y:3

伊達政宗

五月人形の中には、特定の武将になぞらえたものがたくさんあります。
その中でも誰もが憧れる武将と言えば、伊達政宗が挙げられます。

着用伊達政宗金

着用 伊達

着用収納 伊達政宗金

カワイイ顔の伊達

加藤鞆美 1/3伊達政宗

着用収納 伊達政宗

立体 伊達白金

黄金12号伊達政宗

コンパクト.立体12号伊達政宗白金

コンパクト.伊達政宗

伊達政宗は、東北に生まれました。
伊達家は奥州探題という、東北の警察的なことをする役割の家で、奥州探題の伊達家の父、
羽州探題(今の山形県と秋田県の一部)の最上家の母から生まれた東北一の御曹司でした。

戦乱の世の中において、東北地方もその例外ではありませんでした。
謀反あり、侵攻ありの世の中でしたが、政宗は相手の息の根を止めきることなく、降伏すれば命は許すという方針で東北を収めていったと伝えられています。
息の根を止めきらないことによってさまざまな確執が生まれたりもしたようですが、その都度乗り越えてきました。

伊達政宗の五月人形は、漆黒のものが多く、三日月の前立てをつけています。
伊達政宗は幼少の頃の病気により、片目が見えませんでした。
もちろんハンデではありますが、そのハンデを乗り越えるために目標にしたといわれているのが『十八史略』に出てくる李克用という人物でした。

李克用もまた、片目が見えませんでした。
ですがその武勇は名高く、「独眼竜」と恐れられていました。
李克用の率いた軍団は黒づくめで「鴉軍(うぐん=鴉の集団)」と恐れられていたのです。
伊達政宗は李克用を意識して「独眼竜」と名乗り、直属の軍隊は黒づくめにしたと伝えられています。

伊達政宗の五月人形は、このような史実を踏まえて漆黒のものが多いのです。
漆黒だと迫力がありすぎることからわざと兜の返しを金にしたり、兜自体を金色にしたりしてお子さんにもそのカッコよさを伝わりやすくしたものもたくさんあります。

当時は「田舎」とされた東北に生まれ育ちながらも、武勇だけでなく教養も高く、
都へ行ってからは歌会や茶会などでも洗練された雰囲気を見せつけ、並み居る武将の度肝を抜いたという逸話も伝わっています。
決して戦いばかりしていた武将ではなく、文武両道の誉れ高い武将でした。

伊達政宗は関ヶ原の戦いから徳川家康につき、徳川家康が天下を取った後は奥州を平定して安楽に暮らしたといいます。
戦いのセンス、懐の深さから家臣には慕われ、時の為政者にも一目置かれるという立ち位置で、
「あと10年早く生まれてきたら、天下を取っていたのは豊臣秀吉でも徳川家康でもなく、伊達政宗だったかもしれない」と言われています。

武将の五月人形を選ぶときは、その武将にあやかるものがありますように、という意味で選ぶ方が多いのです。
伊達政宗の五月人形が人気なのは、兜そのものの見た目ももちろんですが、人望の厚さや運の強さ、そして文武両道、
戦乱の世を生き抜いて70歳まで生きたという長寿にあやかって選ぶ方が多いようです。
晩年は時の将軍だった三代目徳川家光からも祖父のように慕われたという逸話も残っています。

伊達政宗の特徴的な三日月が燦然と輝き渡る五月人形は、お子さんの健やかな成長を願い、誕生を祝うのにうってつけの五月人形です。


以下の画像をクリックしますと、商品一覧ページに移動します。
数多くの中から、気に入った五月人形をお選びください。
五月人形一覧を見る





まずは手に取り
無料の最新作のカタログを請求するには、以下をクリックしてください。
カタログ請求