コレクション: 【本多忠勝 Category】 五月人形

四天王 本多忠勝



本多忠勝は、戦国時代を代表する
勇猛な武将として知られ、
その兜飾りはその勇敢さと強さを象徴しています。

本多忠勝の鍬形は、非常に独特な形状を持っています。
通常の鍬形に比べて、鋭角で力強いラインが特徴。

かっこいいと評判の鎧・兜飾です。




購入前に知りたい

本多忠勝の生き様・人物像

忠勝は1575年の長篠の戦いをはじめ、数多くの戦場で活躍しました。

敵の激しい攻撃を受ける中でも無傷で戦い抜き、
その記録は50回以上にも上ります。

この「戦場で背中に傷を負わない」という信念に基づく戦い方は、
まさに武士の鑑とされ、多くの武士が敬意を抱くようになりました。

また、忠勝のその豪胆さと強さから「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と称され、
両者は最強の武将として並び称されました。

忠勝といえば、彼が愛用していた槍「蜻蛉切(とんぼきり)」も見逃せません。

この槍は、その刃が鋭すぎて蜻蛉(トンボ)が触れるだけで切れたといわれ、
それが名前の由来となっています。

蜻蛉切はただの武器ではなく、
忠勝の魂が宿るものとして彼の代名詞とされました。

現在でも「蜻蛉切」は
日本の刀剣文化を象徴する逸品として語り継がれています。

忠勝と徳川家康の絆もまた、彼の人生を語るうえで欠かせません。

忠勝は幼少期から徳川家に仕え、家康の信頼を一身に受けていました。

家康は「本多忠勝の存在があれば、自分には十万の兵がいるに等しい」とさえ述べたほどで、
その信頼の厚さが伺えます。

家康は晩年に忠勝を「日本一の勇者」と称賛し、
忠勝の忠義に対して深い敬意を表しました。

本多忠勝は、武士の理想像として後世に多くの影響を残しました。

彼の「一歩も引かない」姿勢や「戦いにおける潔さ」は、
次世代の武士たちにとっても手本とされました。

忠勝の強靭な精神や忠誠心は、
戦国時代を超えて現在でも尊敬される理由となっています。

本多忠勝のゆかりの地として有名なのが、彼が晩年を過ごした三重県桑名市です。

桑名には忠勝を祀った多度大社があり、
彼の功績を称える場として多くの人々が訪れます。

また、彼が戦った長篠の地や小牧・長久手の戦場跡も、
彼の歴史に触れられる場所として訪れる価値があるでしょう。

本多忠勝の兜(かぶと)は、戦国時代の武将らしい迫力と個性が表現されたもので、
特に「鹿角脇立兜(かづのわきだてかぶと)」として有名です。

この兜は、両側に大きな鹿の角(脇立)が付いた非常に特徴的なデザインで、
忠勝の威厳や武勇を象徴しています。

この脇立の鹿角は「鹿のように力強く、どんな困難にも屈しない」という意味が込められ、
忠勝の強靭な精神と不屈の姿勢を表していました。

さらに、鹿は長寿の象徴でもあり、
忠勝の健康や長命を願う意味もあったとされています。

現在でも、この兜は本多忠勝の象徴として多くの資料や美術館に所蔵されており、
日本の甲冑文化を語る上で欠かせない存在です。